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2003年7月23日 (水)

養護学校の視察に参加しました。

 23日、呉竹養護学校、東養護学校に視察に行きました。どちらも来年の養護学校の総合制の具体化に備えての準備は、いつでもOKという感じの管理職の説明で、先生方と子どもたちの毎日の分を刻む奮闘の様子が感じられた。
 「子どものニーズにこたえる、保護者のニーズでチェックして、具体的に応えていくことが大切」と両校で言われました。
「え、子どものニーズでなく、パンフレットに書かれている人間としての発達の『願い』に応えることができる教育ではないのかな」「子どもや親の願いは、人間らしく、一人で自立できる力とみんなと力あわせて生きる社会環境を持ちたいというのではないのか。」と思う。障害児・者の親は「親の私が子どもより先に死ねない。将来が心配」という。社会保障の体制が必要だというニーズに応えないといけないと思う。
 ところが、学校給食は、全国初のクックチル方式の安上がりの食事はどうか?呉竹で190人、東養護で150人近くの生徒が学んでいるが、地域に帰っても、学童保育所はやっと4年生までで、あとは拒否。共同作業所などの地域の就職先も、措置制度から支援費制度に変わって補助金が出ないので、作業所の経営は火の車らしい。今、多様な障害を持つ子どもたちの、未来を生きる力を育てる教育条件が、この京都市にあるのだろうか、チェックしたい。

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またもや不正受給の解同、自治会の4300万円の実態あきらかに

 先日の解同の温泉旅行や研修費などの水増し請求事件が広く市民の関心の的になっていたが、今日、新たに、京都市が調査したところでの、解同と自治会、教育委員会担当の青年、婦人の研修会の不正受給の実態、4300万円の中身が明らかにされました。
 報告では 過去、このような不正受給がおこなわれるようになった背景には、担当職員の補助金行政へのゆるみ、悪しき慣習に染まり、03年度の同和特別措置法の期限切れまでに、目標の達成を進めるために、解同との軋轢が生じるのを避けるために生じたものとしている。そして、これを容認した京都市長はじめ、「京都市の組織的責任」が初めて報告書に明記された。 過去、同和対策室の関係者や教育関係者と解同との軋轢が原因で病気になったり、なくなられた不幸な事件も数多くあった。
 「03年度の、大目標の達成のために・・」という不正受給を見逃して軋轢を回避するなんてとんでもない発想である。目的のためには手段を選ばない発想は、解同の暴力に屈し、成果を競う競争主義のもたらす弊害の何ものでもない。さらに、こんな考えでは、これからも是正は大変。京都市長の桝本氏が解同の支援を受けて選挙を戦っている間はなくならないし、まじめに働く現場職員がその責任を負う大変な迷惑だ。
 今春、解同の推薦状をもらって一斉地方選挙で当選した、市会議員は自民党、民主党、公明党と数多く存在していることにも注目したい。これこそオール与党形成の一因で、これでは、本気で是正する気も力もでないのではないか。
 私たち日本共産党市会議員団の長年の市民の目線で真実を追究してきた積み重ねが今回初めて、京都市自らの手で不正解明のために手を下さざるをえなくなってきた事態を、市民と共に切り開いてきた。
 私の議席は本当に市民に誇れるものであると感じ、その責任の重さをひしひしと感じます。いっそう特別な同和施策の廃止、すべての市民が平等に、人として大切にされる市政を求めてがんばる決意です。

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2003年7月21日 (月)

言葉は発してこそ、生命力を持つ!


 20日、円山公園で行われた、よいよい山コンサートに参加した。第23回と続いてきた、いわば70年代の青春組の参加するコンサートだ!?と思っていたら結構若者もいた。
 永六輔さんが、言葉力というテーマで今日はコンサートをと、オープニングで語り、「言葉は発してこそ生命力を持つ」というとても素敵な話があった。いつの間にか「友よ、夜明け前の闇の中で~」と高石ともや氏と会場大合唱。自然に「夜明けは近い~」と最後まで歌え、参加者の心が一つになった。
 人と人とつながることをおそれさせ、勝ち組負け組に人を選別する、職場の競争主義のあおり行為。それは、子どもの教育にまで効率性を唱え、「国公立に何人はいったか」で学校の存在性を問うような京都の教育。一方、個人と個性を大切に、持っている能力を伸ばし、開花させたいたいと思う子どもと父母の願いとは反対に、教育まで資本の論理と競争主義に制約されるために、毎日繰り返される少年犯罪が社会と教育のあり方を問うている。
 政治家も今、平和憲法と、日本の未来のあり方が問われる時代。このときに、わたしも生命力をもつ、日本共産党の綱領案を自らの言葉を通して、発して行かなければならないと思う。それは、地域でのハンドマイクを終えて、訪問したときに「あんたの声やったか。がんばっているなあ、誰かが言うてくれていると思っていた。」と声をかけられた時に意を強くした。

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2003年7月13日 (日)

いのち奪う小泉政治を早く変えるために共産党がんばれの声

 7月12日、土曜日に石村かず子衆院京都三区予定候補と地元の板橋居住支部の方たちと全戸訪問。
 「毎日、心痛むニュースばかりでいやになります」
 「政治が悪いんです。だから世の中悪くなる。」とある会社の社長さんが、開口一番語ります。
「政治が、国民生活を守ろうとしない、むしろ、りそな銀行のように、我々の税金使って、我々みたいな中小零細業者を不良債権として倒産に追い込んで、失業者を生み出しているんだから。そこにつけこんで高利貸しが暗躍。自民党の小泉さんが生まれたときにおかしい、ヒットラーのようなやつだ。気をつけないとといったんです。」と政治が、生きる希望と、いのちを奪っている原因と断罪。「野党らしい野党は共産党しかない。昔は社会党の支持者だったが、自民党といっしょになって政権組んでからおかしくなった。自衛隊問題も、昔は、憲法違反と政党も言ってきたのに。いまは、孫のことなど考えると徴兵制がしかれるのではないかと心配している」とのこと。11月には総選挙の動きです。国民の暮らしも財政も破綻させる小泉政治に正面から対決できる日本共産党。「地方選挙のリベンジで石村さんを押し上げて」と婦人の方からも激励されました。
 

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いのち守る政治と行政が今こそ必要!

 7月11日、日本共産党市議団の建設・消防委員会の企画で京都市消防学校の見学に参加しました。
 京都市消防隊の隊員の訓練を見て感動しました。今年入学した、130期生のみなさん。17名でそのうち14名が男性で女性が3名。「それぞれの持ち味を生かし、任務分担を決めて訓練している」と、訓練から協同の力が発揮されていました。
 消防学校は3つの目標「明朗闊達、質実剛健、科学的精神」を大切にして取り組んでいるとのこと。「以前は途中で訓練をリタイアする人がいたが、今はありません。1人ひとりにあった訓練と、以前は入学資格に、懸垂3回以上できるかどうか、泳げるかどうかなどあったが、今は入学してもらってから学び成長してもらう。みんな6ヶ月間の訓練で水泳もできるようになるし、立派に成長して現場に出て活躍しています」とのこと。 
 教官の方が、「消防局は、局長以下全員がこの学校で学んで一通りの訓練を終了したものです。ですから、心一つにがんばれるんです」と自慢する顔は輝いていました。神戸のような火災事件を繰り返さないために、自分の安全管理をしながら人命救助を進めることに徹してるとのこと。職員のみなさんを頼もしく思うと共に、京都市民のいのちと安全守る市政の根本を市民にも広く広報することが大切と思いました。

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2003年7月 8日 (火)

パンドラの箱を開けたアメリカのイラク戦争

 七夕の夜、呉竹の戦争展に参加した。会場では、スタッフの方々の奮闘ぶりがよくわかる、熱気に包まれたものでした。
 従軍慰安婦問題、大江山ニッケル鉱山の強制労働問題、劣化ウラン爆弾の影響がいかに重大かが見える展示でした。
 私の父は、生まれつき股関節脱臼で、傷害があったために戦争に参加しませんでした。そのため、障害者の父は、非国民扱いされ、人間としての尊厳が冒涜されるような事態の中で青春時代を過ごした。戦争は最大の障害者を生み出す原因、ということも、子供心に大阪駅前で数多くの傷痍軍人を目の当たりに見てきた。
 その事態は比にならない、人類の存亡に関わる核兵器の存在、そして、アメリカが無法なイラク戦争でつかった劣化ウラン弾がこれからのイラクだけでなく、世界人類に大変な問題を引きづらせることが森住講演によって示された。イラクの子どもたちの被害をみるにつけ、戦争だけは許せないと痛感した。
 憲法・教育基本法の改悪、武力で国を守ろうと呼びかける自民、公明を中心とした小泉政権の危険なイラク特別支援法と正面から対決して平和を守るためにがんばりたい。

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2003年7月 6日 (日)

いのち育む学校給食を民間委託させてはならない!


 7月5日、アスニーで開かれた、京都市の学校給食民間委託反対の市民集会に参加しました。
 記念講演では、学校給食が子どもたちに、単に、安全な「エサ」を与えるような考えで民間委託になり、経費の合理化が行われるのは問題であること。給食は学校教育の一環として位置づけられ、養護学校では、最高12年間毎日食べ続けられるものであることから、単に、「おいしく食べれられれば良い」のではないことが報告されました。そして、障害を持った子どもたちにとって、学校給食は人間としての発達保障の場であること。文化としての食の継続が京都市だけでなく、日本の子どもたちにとって大問題になっていることを強く感じました。
 お母さん方の涙ながらの訴え、現場の調理員さんの働く誇りが学校現場の作り手と食べるものとの交流にあることが切々と報告されました。大阪や滋賀県など他府県からも発言があり、京都市の動きが注目されていることが報告されました。
 わたしも、市議会文教委員会での論戦報告と、西山議員の文部科学省のレクに同席した感想報告。
 子どもの給食の充実を口実に京都市教育委員会が、学校給食を企業にとって、おいしい「もうけの拡大」産業として財界、大企業に提供していこうとするのものであり、絶対反対、共にがんばろうと発言しました。

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