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2005年1月30日 (日)

信号機のために危険な道路を何とかしてほしい。


 「いつも、見てると、道路が狭くて、乳母車を押している若いお母さんや、高齢者の方が、一旦道路に出て、また歩道に戻ることをしている。バリアフリーというのに、歩道に立っている信号機がじゃまをしてるんです、おかしいでしょう」と、ご近所の奥さんが声を上げました。
 ひさもり府議に相談すると、交通関係機関に聞いてもらいました。すると、「道路構造基準に満たないのはわかっている。同じような場所がたくさんあり、現在改修計画をしています。」とのことでした。
 「改修してくれるのは、いつごろか」というのは、みんなの関心事。しかし、こういう予算が削られているらしい。高速道路は造っても、関連道路の改善を求めてもまだ不十分。ぜひ自治会とも連携し、署名運動などもして、改善を求めていきましょう。

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2005年1月25日 (火)

20年ぶりに教え子に会った!


 「せんせい、わかりますか?」と玄関を開けたとたんに言われました。「わかるよ。N子さん、忘れるかいな。」とあいさつ。
 「5,6年生の担任やったから、12歳で卒業。今は、32歳で、20年ぶり。」横から、「先生、変わりませんな。あのころは、角ばって、こわいくらいの顔つきでした。今は、丸くなって、おだやかで。」
 「先生は、こわかったわあ」とN子さんの声。
 「N子さんのリーダーシップと、弱いものへのやさしい気配りが、クラス集団のまとまりを作り出してくれたんですよ。おかげで清掃も学習でも、子どもの自主的な活動ができたんですよ。」と話しました。
 聞くと、年長の子どもと、2歳の子どものお母さんになっていました。
「きょうは、子どもと孫の未来にとって戦争の時代がきそうな雰囲気です。憲法まで変えて、アメリカのポチといわれるまで言いなりになって戦争する国に変えようというのは許せません。NHKや朝日の論争は人事ではありません。昔のように大本営発表のマスコミ報道で戦争に連れて行くようなことを許さないためにがんばりましょう。」と「しんぶん赤旗」をすすめました。
 

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2005年1月23日 (日)

本当のことが語れない日本をめざす政治弾圧か?


「NHKと朝日新聞の言い分が激突」と言われるマスコミがいま危機に。NHKへの安部・自民党幹事長代理と、中川昭一・経済通産大臣の「戦争犯罪をどう裁くか」というテーマで、従軍慰安婦問題の責任と保障問題を扱ったものへの検閲問題だ。
 明らかに憲法の表現の自由と公共放送法の違反だ。これを他岸の石のように扱う他局のテレビと新聞の役割が問われていると思う。この後にあるのは、自民党とNHKの癒着体制が問われているときに、自民党言いなりのマスコミ体制がつくられ、戦前のように国家総動員態勢がつくられる危険性がある。
「フアシスト敬礼にブーイング集中」と問題がイタリアで起こった。セリアAのデイカニオ選手の試合後のサポーターに対するムッソリーニ時代のフアシスト式敬礼をして、英雄が一転して糾弾の的になっているという。(京都新聞22日夕刊)イタリア刑法では、フアシズム礼賛だけで罪になるため、批難の声が集中した。本人は政治的意図はなかった、と言ってるらしいが、サッカー関係者は激怒しているという。日本の戦争反省がない態度とえらい違いだ。日本国憲法を守ることが、世界に恥じない立場だと痛感し、一掃奮闘したいと思う。

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2005年1月19日 (水)

1月11日の京都市消防局の出初め式に参加。


「きおつけ、かしら中」とすごい号令の下で消防署と消防団の出初め式が京都会館前で開催された。
 「まるで軍隊の観閲式みたいやな」と思っていると、知事と総務省官僚、市長と消防局長、議長と副議長とそれぞれ制服に着替えてオープンカーで観閲。
「せっちゃん、似合ってるデー」と自民議員からのかけ声に手を振る議長の仕草に人間らしさを感じて救われた思いがした。
「子ども消防団」といって保育園の園児がそろいの防火はっぴを着てパレード。これもなかなか付き添いの先生方も一緒で和やかな雰囲気でよかった。しかし、残された園での少数による多数の子どもを相手にした保育士の苦労を考えてしまうのは昔取った杵柄の影響か。
そして、伏見消防署のはしご車からの放水も、見せ場の時に連結部分がはずれ、消防士さんにすごい勢いで吹き出した。しかし、沈着冷静に対応したのを見て安心した。人間だもの失敗もあるさ、と声をかけたくなる一場面であった。寒いのにご苦労さまでした。

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残留孤児のみなさんの老後を健康に生きるための公的施設をと陳情!


 14日の午後、向島ニュータウンに住む中国残留孤児のみなさんをはじめとしたご家族のみなさんが議会と関係局に対して、陳情書を提出しました。
 その中身は、①中国帰国者の地域交流活動のために、公的な屋内施設の使用を認めてください、②中国帰国者の地域交流団体も各種団体並みの扱いをしてください、と言うものです。
 中国残留孤児の帰国者の方、呼び寄せ家族が、ニュータウンには400名以上の人が住んでおられるそうです。中国帰国者も高齢化し、地域で孤立化しているとし、少しでも地域住民との交流や地域社会になれるために朝は体操を中心に、夕方は中国舞踊を中心に中央公園などで40人ぐらいで楽しんでおられるそうです。そういえば、静岡県に出張に行ったとき、登呂遺跡公園で朝からやっておられました。中国では日常的なものだから、中国から帰国しても体が覚えているそうです。ところが、雨や寒くなって屋根のあるところがほしいときに貸してもらえるところがないと言うのです。以前、学生センターという留学生のための会館があったのですが、いまは廃館し、無人のまま放置されています。これこそ人権保障。学生センターの再開をやればできます。住宅供給公社はは、検討してほしいものです。ただでさえ使い勝手がよかったこの会館が廃館になって地元・伏見の人たちも困っている。むだを省くために、自主運営でやったらどうだろう。金沢の芸術村のように。
                                                                                                                                                                                                            

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2005年1月18日 (火)

多くの犠牲の上に生かされている人生を大切に


 17日、10年目の阪神大震災のメモリアルデーを迎えた。早朝多数の人々が亡くなられた6344人の人々の冥福を祈った。「多くの人々の犠牲の上に生かされている人生を有意義にいきたい」と体験者が語った。
 震災直後の神戸はまるで戦争直後の事態のような記録放送が流れ、終戦戦後の人々も同じような思いになったことが感じられた。
 私も、11歳の時に兄を交通戦争と言われたときに、交通事故で亡くした。享年13歳、中学一年生の兄を突然失って、写真を見るたびに泣いていた。家業のお歳暮の配達を頼まれたが、遊んでいるからいやだ、と言って逃げて友達と遊んでいると、「お兄ちゃんが交通事故にあったよ」と近所の人が知らせてくれた。
「兄ちゃんが死ぬはずはない」と心に言いながら病院に向かった。
 「私の人生はこれから、兄の分も生きなければならない」と思い、今日まで来た。これからも、世のため、人のために私の人生を生かさなければならない、と市会議員という仕事に就いている喜びと責任を感じています。

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2005年1月17日 (月)

めばちこができて、片眼で生活は大変です。


 金曜日から、おかしいなあと思いながら、街頭宣伝に立っていたんですが、翌日、土曜日から、まぶたが片方腫れてきました。
「ものもらいですね」と、お医者さんの話。「目薬と、化膿止めを出しておきましょう」と言われ、まじめに薬を飲んだが日曜日は、またはれてきました。
「寝ている間に手でこすったんでしょう」と妻の話。
 しかし、車に乗るのも不自由。危なくて乗れない。その上、無理して眼帯して、新年会の挨拶にまわると、名刺を渡す距離感が違うので、変な風に失礼した。
さらに、片方だけで新聞を読むと、疲れてくる。
「寝不足でしょう」「疲れが出たのでしょう」と優しい声もかけられるとほっとする。
 日曜日は、南座の観劇会がありチケットも買っていたので、片眼で参加。花道のそばの席でよいところなのに、右目が不自由でよく見えず、うっとおしい。
 健康こそ宝なり。

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2005年1月10日 (月)

シャルウイダンスの映画のようなダンスパーテイに参加。


 9日。午後、ラボールのホールで33回目の共産党後援会主催のダンスパーテイが開かれました。
 ご近所の方が「一度見に来てください」とお誘いをいただいたので、訪問。
「あなたは昨日、ルビの堀川の平民退教の新年会でお会いした赤阪さんですね」と声をかけていただける方もいてうれしく思いました。「毎週水曜日に、ダンス教室をしているので来てください。いいですよ。ダンスは一人では踊れない。他者とのお互いの気配り、共同の取り組みが必要なんです。」「人と人との間合いですね」『そうです』とお誘いを受けました。
「一度踊りを見せてください。」とお願いすると、踊りはじめると、ダンサーの顔はきりりと引き締まって、かっこよかったです。背筋もピンとして、健康に良さそうです。
「近所でダンスができるように力を貸してほしい」と近所の方に相談を受けました。多彩な要求を実現しなければなりません。また、平和であればこそ、続いたダンスパーテイを絶やしてはならないと思いました。

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三十石船の舟歌保存会のみなさんのすばらしい唄を聞きました。


「7日、伏見区新年の集いが開かれ、参加しました。
来賓席には、自民党と民主党の国会議員が並びました。この間、『共産党が議席を減らして、国会はふぬけになっている。早く何とかしてほしい』との声が寄せられている時、京都市民のために何をするのか、が問われています。
 この日は、自民党の国政候補者のパーテイもあり、『参加者が800名案内したが241名しか来ていない』と主催者が嘆く始末。
 区長の最後の挨拶は、「これまでのお役所仕事はしない。火の玉となって市民のために」と言う、いつかどこかで聞いたような時代を感じました。不吉。
 しかし、伏見の船歌のみなさんの唄と演技はとてもよかったです。いつもの練習が積み重なっているなあと思いました。ぜひ、また聞いてみたい企画です。
すばらしい、伝統文化をありがとうございます。ぜひ後世に残したいものです。

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2005年1月 4日 (火)

仕事始めの、京都市役所前宣伝で訴えました。


 「憲法改悪の前提として、教育基本法の改悪が進められようとしている。子どもをお国のために死ねる子を育てると言う、自民・公明の小泉政権の悪政ストップ、未来を育てる日本共産党としてがんばります。」と決意表明。
 桝本市長の新年の所信表明がありましたが、心なしか元気がありません。「痛恨の極み」と職員の不祥事問題をあげていましたが、いつものように「桝本マニフエストとして解決」、といえないところが弱みです。同和行政を継続する、構造的な腐敗構造を打開し、市民の納得できる市政、信頼される市政をめざし、今年もがんばります。

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2005年1月 3日 (月)

05年、新年あけましたおめでとうございます。


 「新年あけましたおめでとうございます。」
元旦は、東大手筋で伏見の議員がそろって街宣でした。
翌日2日は、西大手筋でひさもり府議と街宣。
若者が、握手を求めてきました。イラク・平和の問題です。
そして、早速深刻な生活相談もありました。
みなさん元気に、外に出よう。日本共産党は待たれています。

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