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2005年4月29日 (金)

JR事故で龍大生も犠牲に、起こるべきして起きた事故との声


 25日、会議中にJR宝塚線で事故があったそうだとのニューズが飛び込んだ。事故で家族を失ったり、怪我をされたみなさんに心からお見舞い申し上げます。
「いくら言っても娘は帰ってこない」「妻を帰してくれ」という犠牲者の声が、わびるJR社長に突き刺さった。
「置き石説」は否定され、その原因は、伊丹駅でのオーバーランを回復するために、制限速度を30キロ以上オーバーで突入したことが、いろんな要因と重なって事故を起こしたと言われている。その話を聞いて、「きっと、厳しい労務管理と過重な労働が裏にある」と思っていた。
 そして、今学校現場で「教員評価」が試行導入されているが、同じように、失敗、ミスが許されない状態で、休息休憩もなく、トイレに行く時間もない状態で働く教員の実態と重ねて浮かんできた。
 嘘の報告しないと、いじめの日勤教育に回されると恐れたJR職員。「不適格教員」判定委員会にかけるぞと、教員を脅す学校長がいるらしい。重なって見える。JR西日本は空前の利益を上げているのに、私鉄との競争で、わざと古い速度コントロールをしないATS装置で時刻厳守をはからせていたと言う。私たちは、ATS装置があるから事故などあるはずがないと信じていた。
 運転手も、乗客も、希望に燃えた青年の未来も、JR西日本の金儲け本位会社運営の犠牲にされていた。国鉄の民営化の時に、大企業が生み出した赤字を国民の付けに回し、民間企業に任せば黒字に転じる、サービスが良くなると言ったのは政府・自民党。その責任も問われなければならない。
 いまだに1047名のJR採用しないで差別する企業の責任も同時に問われるのではないか。

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2005年4月26日 (火)

小指の話は秘密です。


24日、日曜日の朝から淀南体育振興会のソフトボール大会がありました。町内の選手として、体振の本部役員としても参加。
「日頃運動してないから、いつも参加するたびに怪我するから気をつけんとあかんで」と出かけに妻に言われた。
「今日は絶対、怪我せんように無理せんとこ」と決意し出かけた。
いつもと違い、今回のチームは、町内会長さんはじめ、若い人が多い。年齢制限をはずしたからだ。若い人が多いのと、熟練のピッチャーがうまくかみ合っていいチームができた。
不戦勝で、3位決定戦から参加したが、相手チームは若い人がほとんどで、少年野球をしていたような攻守にかみ合ったチーム。
 いつもは、キャッチャーをしていたいが、今回は初めて、フアーストに。自分のグラブは人に貸したので、初めてフアーストミットをはめた。最初の送球を受けたときに、小指の先の爪を引っかけてしまった。爪の間から血が出てきた。
あーつ、どんくさ~。妻には秘密です。
バッテイングセンターに行こうっと。

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2005年4月23日 (土)

ビジネスチャンスをつかむことがこれからの商店街の仕事。


 20日、西新道商店街を訪問。始めていったのですが、ここが今、京都市内でも安定した売り上げとそのための努力が講じられえいる、元気一番の商店街と聞いていきました。
 今年は、丹波橋商店街の顧問として役割を果たすために、何が必要かと学ぼうと行きました。
「えーっ、大手筋商店街と比べても、一昔前のような商店街だなあ、」と率直に思いました。
しかし、理事長さんのお話は、時代の最先端を行く話でびっくり。
「売る力も大事やけど、これからは買う力が大事。お客さんが何を必要としているのか知らんと」と大学との連携で、消費者ニーズの調査をどういかしているか、と言う話を聞きました。
 それぞれの商店街では、売り上げを上げるためにどう努力しているかと言う話が多いが、消費者ニーズから、異業種との共同で販売力を高める話などは、大変参考になりました。
「地域の顔、生活と文化の支え手」としての商店街の活躍はとどまるところを知らない様子。
「若者に、責任を持って自分の頭で考え、商店街に提案し、納得いくまで議論し、自力と共同の力をしっかり果たしてもらう。それであとつぎの商店主が育っています」と組織を育てる話まで元気が出ました。

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2005年4月20日 (水)

京都迎賓館は税金201億円のむだ遣いと環境破壊の典型!


 京都迎賓館が完成し内覧会があったので、視察に行った。
「なんや、あんたらは反対してたんと違うのかいな」と与党議員が言った。
「税金の使われ方をチェックするのも野党の仕事」と今後の運営のこともあるので見に行った。
 新聞に東京赤坂迎賓館は、昨年で3人が利用という状況で、京都は賓客が来るところなので使ってもらえそうだという。08年にはサミットがあるからというが、「この間も、外国の偉いさんが来たというので、この近くは通れませんでしたんや。木屋町のところでごはん食べるさかい言うて、すごい警備でタクシーがはしれへん。めったにお客がこんのに、来たらきたで、大変な警備と交通規制で渋滞と走れへん町になる。税金のむだ遣いですわ。あそこは昔、わたしらも野球でつこうてたんですよ。」とタクシーの運転手さんが話してくれた。
 平屋建ての建物は、お客を迎えるために造られているが、一つ一つの部屋が大きいのと、伝統産業の粋を集めたと言うが、どれだけの人が見るのかと思い、生活空間と離れた伝統文化などあるのか、と疑問に思いながら、あっという間に見学コースは終わり。
 帰り道に、京都市歴史資料館に寄ってみた。
「歴史資料館は、京都市の管轄では総務局、もともと資料展示の施設ではなく、京都の歴史を編纂するための施設だったのを、展示資料室と、ビデオ室を確保したのです。」と、居合わせた職員が説明してくれた。
 京都の歴史を伝えるには、すんでいるこの町がそのまま歴史史料だと、思うのと同時に、独自に京都以外から来た人、また地元の京都市民に自分たちの住んでいる京都の歴史を系統的に伝える京都市の施設が、他には考古資料館、埋蔵文化研究所しかない。小・中・高校で歴史学習するのに教材が利用されるように十分リンクもされていないようだ。もったいない。

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2005年4月17日 (日)

「原爆でおわりしは過去、原爆で始まる戦争が目の前にある」(収)


 15日、午前、自民、公明、民主の賛成で「憲法改正手続きもる」衆院憲法調査会報告を提出と夕刊紙が伝え翌日の新聞報道も、報告書の中身を伝えている。
「9条一項の戦争放棄の理念堅持、自衛権の行使として必要最小限度の武力行使を認める意見多数。集団的自衛権行使の是非は意見が3分」との骨子が真っ先に目に入った。
戦争放棄というのに、戦争ができるようにするという。九条2項で「国の交戦権はこれは認めない」と書かれていることを真っ向からつぶすもんだ。なぜ、必要なのかが問題。イラクの状態見ればわかる、早くアメリカの代わりに世界に向けて堂々と自衛隊が戦闘行動に参加する日を待ち望んでいるものが明白。
 戦争して儲けるものがいる。アメリカも日本も、いわゆる死の商人の代理人が政治の中枢にいる。

「21世紀見すえてなどと何を言う、核据え置きのままに、何言う」(収)。
「原爆にて母を焼かれし傷痕をもつ君ゆえ戦争を深く憎みぬ(陽子)
「いのちの和歌」を詠った詩人、引野収と濱田陽子夫妻の詩をもとにした朗読劇が呉竹ホールで開催された。
 戦争はいやだ、の声は日本人の心の中に染み通っていると、実感した2時間近くの空間であった。

 国連では、核兵器保有国に対して廃絶を求める運動が広がっているときに、日本は戦争準備をしている。許せん!

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2005年4月14日 (木)

金のないものは死ねというのか?国保料金引き上げで役所も大変。

 「例年の1.5~6倍の人が区役所に来るんじゃないですかね。多いときで500人ぐらいこられて、業務が間に合わないので、3時半には受付を切って、『ご足労ですが翌日におねがい』をしているのです。
 今年は余計大変で・・。」と窓口業務の職員の大変さが感じられました。14日、国保の係員に今年度の値上げ実施について聞きました。
 前日の保健福祉委員会で、「今年度の国保料金の請求通知は、3割減免の措置をしたものである」と、局が回答しました。
「伏見区は低所得者の多い行政区で、市民が大変ですね」と影響を心配すると、「今回は、中階層の人の負担軽減のために、広く薄く負担をお願いしている。収入の少ない自営業のかたがたが、毎月1000円から2000円の負担をどう影響を受けるかでしょうね。」と話されました。
 今でも高い国保料金を払えず、命の綱の国民健康保険証がもらえず、自殺に追い込まれる人がいるというのに、これ以上命を切るようなことは許せません。油の小路線の橋脚ひとつが1億円から3億円というが、この3つ分もあれば、市民の命をうばうことがないのに。
 今は戦争中でないけど、人間の命を軽んじる世の中ではあまり戦争中と変わらないなあとまたもや憤慨。千宗室氏が60年前、特攻隊にいたとき、「どうせお前らは死ぬのだから」と上官にことあるごとにいわれた、と憤慨していた。おんなじや。

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2005年4月13日 (水)

人権文化基本計画は、同和行政の延長にならないかが問題


 昨日の文教委員会に文化市民局から、人権文化基本計画を今後10年計画として取り組むことの報告がされた。本日の京都新聞にも大きく「決定」と報道されている。
 人権問題に取り組むことは、今の人権無視の政治状況では必要なことだが、どうも、公開されているようで、庁舎内部で「決定」した計画といえるもので、文教委員会の審議という状況ではなかった。 
 なぜなら、この「決定」された、計画書は、昨日委員会に初めて、全文公開されたもので、当日私も、いくつか質問をしたが、「これから決めていく」という返答が多く、まさに提案があったと認識であった。ところが、今日の新聞には「基本計画を決定」とある。どういうことや。「外部の委員によって審議され、30数件の市民からのパブリックコメントの意見提出があったから、決めました」では、市民に責任もって市政のチェックをおこなうべき議会の仕事が軽視されている。
 同和問題は人権問題と言っては、市民や職員が自由にものがいえない状況をつくり、いまだに廃止されたという同和施策を、継続させて特別扱いの行政がまかりとおる京都市行政を正せる人権文化基本計画になるか、という心配をするのは私だけか?
 このやり方はまさに市民無視、議会軽視だ。パープルサンガの横大路専用グラウンド建設計画もそうだった。
「京都府、京都商工会議所、京都市の担当者が研究会をつくって検討した結果、当面の良い場所はここだと言うだけで、財政的な問題や、利用者との協議などはこれからです」と当局の担当者が答えていた計画。今年度の予算委委員会でも、自民党議員からも「計画の中止を」と求められていたものが、2月1日の市民新聞に、横大路グランドに決定と、予算が議会通過するまでに報道されるなどもってのほかの事態。
 これこそ稲盛流の、ネオコンのやりかたか?市民には財政難を理由にいろんな市の施設利用料を上げて利用者が減るような事態をつくりながら、市民の税金のむだ遣いでしかないと思われる計画だけど、特定の財界・業者の金儲けになるように市民の財産と税金を提供していくやり方は、国の郵政民営化問題と一緒だ。
 今の政治手法はいつか来た道だ。
 つまり戦前、戦争に国民を動員するのに、軍部の過激な行動にその責任を負わした道と同じ手法ではないか。その結末は市民が泣くことになるのははっきりしている。断じて許せない!

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2005年4月10日 (日)

「戦争反対よろしくお願いします」と婦人の声


 「4月10日、伏見のピースウオークです、」と約70人ぐらいの参加者が、伏見公園から、メイン通りの大手筋を中心にアピールしました。
「なんですか?」と聞く年配の方。
「戦争反対、のデモです。平和憲法守ろうというのです」というと、「それはええこっちゃ。」と激励の男性。
「戦争反対でよろしくお願いします」と年配の婦人が拝むようにして私たちに声をかけられ、じーんとした。
「戦争反対、それなら、僕らもビラまくよ。」と飛び入りの中学生が7~8人参加。
「戦争反対やね」といって、パレードの前にまで言ってビラを配布してくれました。
「21世紀の青年もしっかりしてる」と思わず声が出た。

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2005年4月 9日 (土)

外は桜が満開、下鳥羽懇談会は話で満開!


「悪政はわかる、しかし、まだ知らない人がいる。そういう人から生活要求を聞かねばならないと思う。双方向で政治を変えることが大事だ。」と障害者支援施設の人が言う。「死ぬまではない、食べてきているだけで人間らしい生活といえるか?」と怒りを語ります。
「下鳥羽では市バスの大型は入らない。循環バスの小さいバスでいいから、車に乗れない高齢者の人が乗るバスがほしい。どうしたらよいか」
「介護保険制度を利用しているが、サービスは不満。」
「淀の若いお母さんが言っていたが、『子どもの保育料が扶養控除の年間38万円を超えている。これでは負担が大きすぎる。喫緊の願いは、乳幼児医療費を今の3歳からせめて5歳までのばしてほしい。一番集団生活の中で病気に感染しやすい時期なんやから。』と切実。」
「一流会社の中年の息子が退職して帰ってくるが、大丈夫か」
「長距離トラックの運転手さんが、休み無しに走り、足が動かなくなっても帰ってこいと言われ自力で帰ったことは、重大」と多岐にわたり、人間らしく働く、生きる、子育てがあらゆる階層に広がっていることが、よくわかりました。

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2005年4月 5日 (火)

君の行く道は~果てしなく遠い~と花見のうたが聞こえてきた。


 4月3日の日曜日、八幡の背割りの花見にいくつもりで出かけた。住吉の後援会が企画していた。しかし、残念ながら雨模様と聞いたので前日に中止。
 しかし、天気予報は当たらず、降ってないので出かけてみた。「君の行く道は果てしなく遠い~」と年配の方々が集まって、花が咲いてはいないが、うたの花が咲いていた。なつかしい~。

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京北町との合併記念式典に参加


 4月1日、京北町が今日から京都市に編入されました。
平成の大合併と言われ、駆け込みで他の都市も合併協議会の設置の申請があったと京都新聞にも書かれていた。
 しかし、京北町の人々の歴史的な願いが実現したと元議長さんが言ったが、果たして住民のみなさんが喜ぶ結果になるかは問題だ。子どもたちのバンドマーチはすばらしかった。山国隊の行進も由緒ある感じがしたが、この期待に応えられるかが京都市に問われている。
これだけ広域行政になると、京都市の僻地の状態を見ると心配。京北の進んだ福祉、教育行政の状況は目を見張る事態でした。やはり、自治体は、それなりの小さい状態が一番いいですね。行政施策をするのにお金がかかるから、というけど、実際は違ったのが事実。何が住民の生活に支障があったのか。何もないのに不安をあおっていたのではないか。(写真は、途中でみたハクモクレンの花)

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