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2012年8月19日 (日)

小栗栖日本語教室15周年おめでとうございます。

早くも15年も経ったのですね。私が教員をやめて政治の世界に飛び込んで最初に取り組んだのが、日本語教室の開設でした。最初に帰国者の日本語教室の相談を受けたときには、先生や、会場の確保することや、京都府の日本語教室の不十分なところを自主的に解決しようと、いろいろな人にお願いしました。そのときに(故)野中さんががんばっておられました。中国帰国者を中心に、みんなで戦争反省のない日本政府の対応と日本語教室などへの援助の不十分さを運動で改善を勝ち取って今日に至ったと思います。

日本の歴代の政府と侵略戦争の裏側にある真実、侵略戦争の日本の兵隊は国民を守らなかった、戦争になったとき真っ先に国民を捨てる棄民策をとることを示しています。関東軍の生き残りでシベリヤ抑留者が語ってくれました。「二度と戦争はさせてはならない。極寒の土地に、兵士の屍が累々と横たわり、葬ってやることさえできなかったと言う情けない思いが今も残っている」と言うのです。

国家のためにと言ってはばからないものの出現は戦争への道につながっていると感じます。特に「橋本維新の会」の発言は戦前の天皇の名による侵略戦争の肯定、そして生命線を守るために自尊自衛という考え方は当時の軍隊の考え方そのもので許せません。

私は、日本語教室を大切にすることは、日本国憲法前文と憲法九条の戦争しない国をめざし平和を愛する思想を広げることだと思います。これからも平和を愛する日中人民間の橋渡しとしても大切に守り育てたいと思います。これからは多国籍の時代です。更に発展を。

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2012年8月18日 (土)

またもや東美豆町は道路冠水しました。

 8月18日は東美豆町内の地蔵盆の日でした。お坊さんが念仏を唱えて、最後に説教。「地蔵さんと同一の人を知っていますか」「えーっ」「それは地獄の門番、嘘をついたら下を抜く、閻魔大王様ですよ。同一人物です。皆さんが地獄に堕ちないように守ってくださっているのです」と話されました。

しかし、自然の天候は、私たちを守ってくれませんでした。夕方の雷とともにすごい集中豪雨で、地蔵盆行事も中断、集会所に避難しました。一昨年京都市の補助金を頂いてみんなの力でできた集会所が役に立ちました。しかし、14日の洪水といい、今日は側溝からあふれ出る状態でした。淀南交番の警察官も駆けつけてくました。「淀南交番は、14日も冠水して降り、警察官も困っているのに、大変やね」と住民が同情していました。何とかせんと!神も仏もあるものかですね。

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2012年8月16日 (木)

8月14日、宇治、伏見など京都府南部に集中豪雨!

「助けて、床上まで水がきている。早く来て」との留守番電話が、午前4時すぎから入っていた。帰省して、高知から帰ってきたのが15日の夜中。高知県でのニュースに気をつけてはいたが、まさか自分の町内の冠水事故があるとは思いもよらなかったのです。

「床下収納庫が浮いてきたのでびっくりした」「しかしポンプが動いたらスーと水が消えていったのには安心した」と。「自然災害はほんとに、忘れた頃にやってきたわ」と町内の人たちが異口同音に語っていました。「やはり公務員がいないと、だめやね」とも。

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