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2019年5月 3日 (金)

日本国憲法は、だれの手を縛るためにあるのか?

 今日は憲法記念日。憲法前文を読むと、その名分に感動せざるをえなかった。平成の天皇は、即位の時に、憲法を守りと発言されたが、今度の天皇は、憲法にのっとり、と発言。新聞報道では、最近の憲法改正の動きをふまえての発言の変更とみている。先の天皇は、憲法改正の動きに合わせるように、退位を宣言したのかと、疑いたくなる。

日本国憲法は、日本国民の理想だと教えられてきたから、日本国憲法を守るのは日本国民だと思っていた。この間の憲法論争で、権力者の暴政の手を縛るために、憲法はあると聞いて、目からうろこが落ちた感じがしたのは私だけではないと思う。教員として任用されるときに、「日本国憲法を順守して」と誓約書を書いた覚えがあるのは、公務員は一定の公権力を持つからなのか。今の議院内閣制の政治の下で、確かに、権力行使の制限をかけるのが、日本国憲法であると痛切に感じる今日この頃である。国民が希望をもって平和に生きてきたその防波堤は、常に憲法9条であったし、人間らしい生活の保障=社会権として、憲法25条に明記され、国が福祉の向上を義務付けられている。

いよいよ7月の参議院選挙には、安倍政権は憲法改正に意欲を燃やして、参議院の3分の2以上の占有を求めてくるが、そうは問屋がおろさない。3000万署名を軸に、市民と野党の共闘、個人の人間らしい生活の保障求める声が、戦争への道、憲法改悪を許しません。がんばるぞ!

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